言葉は嘘をつくために

言葉がコミュニケーションを難しくしているのではないかとよく思う。

言葉。世界中に散らばった様々な言葉。

バベルの塔を思うたびに、言語中心の世界であるなら、せめて世界中で同じ言語が使われていたら、もっと分かり合えただろうに、などと考える。

子供のころ、漠然と見ていたアニメで面白いシーンがあった。

その世界では、言葉は使われていない。心に思うことがすぐに相手に伝わるため、

言葉を必要としないのです。telepathyですね。

それを観た私は、「うらやましい。本当のことしか分からないから、楽だろうなあ。」と、近くにいた母に言いました。すると母は、「考えていることがすべてわかってしまうなんて気持ち悪い。お母さんはそんな世界は嫌だ。」と言ったことを覚えています。

本音だらけの世界はつらいこともたくさんあるでしょうが、嘘だらけの世界よりはましな感じがするのですが。偽善ほど疲れるものはない。

好きなら好き、嫌いなら嫌いとはっきり伝えてもらったほうが、私は楽です。

お世辞なんていらない。知りたいのは本音なんです。

言葉は本音を隠す隠れ蓑。しかし、今の地球人の精神レベルでは混乱するでしょうから、やはり、現時点においては言葉が中心のコミュニケーションをせざるをえないのでしょうね。

コミュニケーションの行きつく先は、やはりtelepathyだと思うのです。